ベスランにおけるロシア学校人質事件におもうこと。
現在の報道であると、約400人を救出200人が死亡したと伝えられているこの事件において、多くのことを思ったので、文章にしたいとおもいます。
1.この結果はわかっていた?
チェチェン問題及び、それに纏わる事件では、ロシア当局の対応は、異常であると言わざるを得ないとおもいます。。
この前、に起きましたチェチェン共和国独立派武装グループが、八百人以上の人質をとってモスクワの劇場を占拠していた事件は、ロシア政府の特殊部隊が劇場に突入し制圧し、人質の七百五十人以上が救出されましたが、九十人以上が亡くなりました。そのときは、特殊なガスが散布され、人質の中には、後遺症に悩む人も居ると言われています。つまり、ロシア当局は、チェチェンの問題に纏わる事件では、時間を掛けないで突入し、人質の死さえ厭わないと言う姿勢を打ち出しているとおもわれます。これは、最近の「対テロリズム」に対する方策に、非常に共通する事柄です。アメリカが現在イラクに駐留し、現在でも死傷者を出しているにもかかわらず戦い続けていることもそうであるし、傾向として、武力で制圧することは是とする傾向が強いと思います。
2.何故そのような発想になるのか?
ゲゼルシャフト(Gemeinschaft)とゲマインシャフト(Gemeinschaft)ということばがございますが、前者が、独自の慣習・法律などをもつ組織体としての)社会,共同体英語で言うと、ソサイティー(Society)であり、後者は、a (利害・宗教・国籍・文化などを共有する)共同社会,共同体,コミュニティー; 地域社会英語で言うと、コミュニティー(community)と訳されます。ちょっと解りにくいので、簡単に言うと、組織の利益が優先されていく社会と、個人が尊重されていく社会の違いであると考えます。つまり、前者には、個人の場合社会を維持する為に、命が落とされていくことが是とされますし、後者は、自分で選んで、出て行けばいいということになります。日下公人氏の著書「そして、日本が勝つ」のなかで、「英語を使うと、発想が単純になる」というはなしがありますが、この場合も然りで、ソサイィーとコミュニティーとでは、この議論の本質を話すことが出来ないとおもいます。
話を戻します。つまり、存続している国家と言うものが、そもそも前者であって、後者ではない。国家に所属している以上ヨーロッパ的な発想では、殺されることは、致し方が無いことといえます。どっかの国の政治家が、「人の命は、地球より重い」などとほざいて、犯罪者を海外に逃亡させてしまった以後、世界で、ハイジャックと言うものが流行ってしまいました。それは、事実であります。報道の中には、今だに、それを期待し、「平和的解決」などと言っている輩が居るわけですが、世界の常識ではないわけです。そのくせ、自分が捕まれば、国に金をせびって、助けてもらう。御楽なことです。事実は、事実として、克明に正しく解るように伝えるのが、仕事ではないかと思うのです。
4.チェチェンについて
しかし、それでもなお、何もしないよりは、マシだと思い、暴力行為に出る青年達が居ることを考える必要がありま。彼らは、初めからこの結果を予想しているであろうし、それに巻き添えを食う人々が居ることも理解していたと思います。そして、何よりも自分達が、生きて帰ることが出来ないことも予想していたはずです。それでもなお、こんな事件を引き起こすのは何故だったのでしょうか?
それは、チェチェンと言う地域について考える必要があるとおもいます。
チェチェン総合情報(http://chechennews.org/)によると、
それは、帝政ロシアの時代のこの地域への侵略から端を発しているといいます。そのなかで、著者は、
①イランとトルコが近く、軍事上の緩衝地帯である。
②ロシアの政治状況が、チェチェン戦争を必要としている。
③チェチェン人の独立志向。
が、戦争が繰り返される原因としています。非常に筋が通った理論なので、この説明は、そちらに譲りたいともいます。つまり、これは、民族解放運動であって、単なるテロリズムではないのではないでしょうか?。
5.これは、単なるテロリズムではない。
そもそもテロリズムとはなにか。大辞林 第二版 (三省堂)によると、テロリズム [terrorism]:一定の政治目的を実現するために暗殺・暴行などの手段を行使することを認める主義、およびそれに基づく暴力の行使。テロ。とされています。これは、非常にネガティブな表現になっていますが、実は、戦争そのものが、テロリズムであることがわかります。彼らは、戦争をしているということなのではないでしょうか?。そしてその理由は、自らの民族を開放しようとする力。つまり、民族解放運動:((1)一九世紀後半以降、植民地・従属国などが帝国主義国の支配・干渉を排除し、自由・独立を目指して展開してきた運動。(2)被圧迫民族がその解放を求め、民族の独立と統一を達成しようとする運動。)であることがわかります。つまり、彼らは、自らの自由と平和を勝ち取ることを目的としているのではないでしょうか?。しかし、そんな報道は、有ったでしょうか??????。これは、まったく、中東地域でもいえるとおもいます。数千年前の書物を元に、一部の人たちが推し進めた国家建設に多くの列強が加担し、ある国家を樹立しました。しかし、そこに元々住んでいた人々の権利を侵害し、そこに住む権利を主張すると圧力が掛けられる。そして、暴力を振るえば、テロと呼ばれる。そうでしょうか??これは、誰が見ても、独立戦争だとおもうのです。でも、そう報道する人は居ない。何故でしょうか?。
6.現在でも起きている独立運動。
代表的なものだけでも、次のようなものがあります。
・チベット独立運動(中国)
・東ティモール独立運動(インドネシア)
・パレスチナ解放運動
・クルド人独立運動(イラン、イラク、トルコなど)
・チェチェン共和国独立運動(ロシア連邦共和国)
・北アイルランド独立運動(英国・アイルランド)
・バスク分離独立運動(スペイン・フランス)
それぞれが、テロとの関係を指摘され、批判をされている報道が目立ちます。実際は、文化や言語、名前まで変えられて、現在を生きることを余儀なくされている人々が居るわけです。これは、今現在のはなしです。日本の圧政に苦しんだ大陸の人々と同じことが、現在でもされているのである。
7.少し語りすぎたかもしれない。
ここまで書いて、どう生きるのか?。と言う問題にぶち当たります。
勿論、成人として、選挙にも行きます。そして、つまらない報道であっても、TVを見るし新聞も見ます。
私は、自分の小ささに気づきます。いったいこの私に、何が出来るのでしょうか?。きっと、大きなことは何も出来ないのだとおもいます。粛々と毎日を過ごすことになるであろうと思う。しかし、一方的な報道や、理不尽な事柄については、テロと言う手段でなくても、やはり、自分の足で立ち上がらなければならないと思うのです。
私は、今回の問題が、これで終わることは無いと考えています。何故なら、彼らは自由を求めて戦っているのであるからです。これは、全てにおいて同じであると思います。例えば、お客様からのクレームは、その問題だけを伝えてきていることは少ないと思っています。つまり、一つの情報から、得るフィードバックは次の問題を発生させない為の糧としなければいけないとおもっているのです。対処療法では、また同じような問題を何度でも引き起こす可能性があると思うのです。「モノは、嘘をつかない」とは、よく言ったもので、出来が悪いのには、何かの原因が存在し、それが何なのかを見極めなければ、本質は見えてこないと思うのです。逆に、人は嘘を付くので、誤魔化そうとする。そんなことでは、何の解決も出来ないと思うのです。
問題の本質は何なのか?。今回の話は、圧政に苦しんでいる人々が居るわけで、それを批判するか改善する為の方策を議論するべきであるとおもうのです。主義や主張もあるし、それぞれの立場も有るとおもいます。だから、本当の気持ちが伝えきれないことの方が多いかもしれない。
でも、、、、、、。目指すところを見出せるなら。必ず道は開けるし、解決できるのではないか。少なくとも、現在の報道で、そういった議論が無いことを悲しく思います。民族や宗教、地域や肌の色など、世界には、いろんな違いがあります。国内であっても、いろいろな問題があることは理解しています。ですが、今出来ることとして、私は、少なくとも、自らのエゴの為に、人を傷つけることはしたくないと思います。勿論、商売をやっているのだから、利益を得ることは必要なことだとおもいます。しかし、それによって、お客様にも利益をもたらさないものであるなら、やることに値しないのではないか。とおもうのです。それは、社内でもいえます。リーダーシップと、独善とは違います。みんなの思いや、願い。そして、祈りに近いものを形にしていく手段として、判断をしていく必要があると思うのです。逆に、利益を得るために、魂を売っている人も最近目に付く機会も多いです。私どもだけでは解決できないことも多く、困惑することもあるのですが、実際にご相談を受けて、困ってしまうことも多いです。以前は、もっと切実な問題として、存在していたわけですが、現在では、巧妙化と道義上の問題があり、社会的な制裁が必要な場合は、ご協力もすることもあります。なんか、難しい表現しか出来なくてすみません。要は、悪い人たちがたくさん居て、びっくりしている次第です。
私は、ものづくりに携わる一人の職人として、そして、経営者として、そうは有りたくないと思います。逆に、何かおかしなことを僕が言うようになったなら、ご指摘いただきたいと思います。それは、社内でも言っていることでもあります。その御指摘が、耳に入らなくなってしまったら、私自身が駄目になってしまったときだとおもいます。師匠である会長。兄である副社長。そして、お客様や社内のみんなの声が私に届かなくなったなら、僕は、駄目になってしまうと思います。今回の事件は、非常に痛ましいものでした。ですが、この違和感や憤りを何かの形で、伝えたいと思った次第です。僕は、差別やテロリズムに対しては、屈するつもりはありません。そして同じように、「寄らば大樹」的な発想で、何も声を出さない衆愚的な人間にもなりたくは無いです。願わくば、そういう生き方が出来ればと思います。
最後になりましたが、今回の事件で、多くの人たちの冥福を祈りたいと思います。