8月 30, 2005

暴力事件と甲子園

暴力事件と甲子園

明徳義塾高校の出場辞退と、駒大苫小牧高校の優勝後の問題発覚で、最近まで、揺れていた訳ですが、僕は、学校教育、家庭教育、地域教育のそれぞれの役割について、一つの問題を提起していると思います。まず、ひとつ、おはなししたいことは、そもそも、問題が発生したときに
連帯責任とは何なのか?という問題です。

ルース・ベネディクトの『菊と刀』によると、欧米の文化を「罪の文化guilty culture」、日本の文化を「恥の文化shame culture」というように対比させていますが、他律的な「恥の文化」では正義より名誉が優先され、個人の道徳心は、他者により左右されてしまうと指摘しています。高校野球の団体主義も、これに当てはまり、「学校の名誉としての甲子園出場」ということが、問題なのだと考えます。また、県の代表という考え方も又非常に問題でもあります。例えば、東京都の271校のなかで、(2校出場)神奈川県は、211高加盟校があるのに対して、鳥取は27校、高知は33校(高野連Hpより)と、明らかに確率が違います。アメリカの場合。まず、学区内のリーグ戦。そして、ほかの学区との交流戦。
そして、地域大会、州大会、全国大会へとつながります。その上、サッカーのようなカップ戦もあるわけです。。と、こちらは、別途書きます。

http://www.jhbf.or.jp/index2.htm

しかしながら、先ほどの問題の前者にしても、後者にしても、告発した側は、そういった精神からは、離れてしまっているといえるのではないでしょうか?。つまり、問題を起こしているのは、本人達であってそれを「恥」と感じることなく、問題を学校の体質ということに置き換えて、自らの家族に対する「暴力」といった行為に対する報復措置として、高野連やその他の上部団体に抗議と証して、「罪」を償ってもらうことを目的としているわけです。
つまり、欧米型の「罪の文化guilty culture」で、物事を行っているわけです。ここには、「菊と刀」で考えられているような、大きな違いが存在します。本来であるならば、そのタバコを吸った生徒が、自らの責任を認めて、高校を
自主退学すれば、問題は解決するのですが、そういった論調はありません。
後者の例を見ても、「先生に暴力(指導)を受けた理由」に対して反省の弁は、ほぼありません。まず、否定から入っているわけです。大変申し訳ないですが、私学で、義務教育でないのですから、お辞めになるべきは、暴力を振るったという部長ではなく、ご本人と思うのですが。そういったことに対する考えはございません。

それは、当たり前です。


ご家族が、「罪の文化guilty culture」で、ものを考えているわけですから。。。

ここで、僕が問いたいのは、現在のような高野連の団体主義的な考え方が、通用しない家庭や、考え方が横行していることを早く認めて、何かしらの方策を打ったほうがよいのではないかということです。ここでは、良し悪しを議論しているのではありません。
すくなくとも、日本人の精神構造が、壊れているわけです。

例えば、先生の言うことを聞かない生徒については、高野連から、「退部のお願い」を生徒側に突きつける。参加性とに誓約書を欠かせてもよいです。また逆に、高野連そのものが団体主義的な考え方を止めて、今後は、個人の責任を追及するようにする。。。。
そのどちらかを早い時期に考え合わせないと、問題を解決することは出来ません。そもそも、今回問題となった二つの学校については、前者が、学生vs学生の話。
後者が、学生vs指導者の問題です。前者については、いろいろな議論があるにせよ。
どちらにしても、「罪の文化guilty culture」で考えれば、問題は当事者同士であり
家庭であるのですが、「恥の文化shame culture」としてかんがえれば、どちらにしても、
学生の親が、学校側を提訴することはありえない。ということです。

すくなくとも、今回の両校の考え方や、行動は、子供達の将来に対して、明暗を分ける形になりました。
明らかに、出場を辞退した明徳義塾には、まったく得たものはありません。こんな不公正を受け入れる。
こんなことが罷り通るこの高野連の方こそ。自らが学生達に課している「団体行動」という
ことを考え、「A shame culture」として、行動をするべきではないですか?
出来ないのであるなら、、、、、、、、。
今後、一切、学生達に責任を問うこと自体がおかしくなってしまいます。現執行部は退陣することは、
最低でも必要でしょう。

では、失礼します。

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8月 25, 2005

9.11衆院選についての考察②

9.11衆院選についての考察②

小沢一郎氏(9月22日NEWS23にて)のコメントでは、
本来、自らの政治生命を捧げて、自らの党の人々から反対を受けて、法案が否決された場合の思考は、「内閣総辞職」であって、「衆議院の解散」ではない。

筋論では、最も解りやすい。それが、議会制民主主義でもあるわけです。自民党をでなければ、とっくに総裁や首相にまで上り詰めていたであろうひとは、違います。

あと、岡田執行部批判の中で、「わかりにくい」ことを挙げておりました。
これは、僕も非常に近いと思います。
郵政の問題では

①郵便事業は、自由化し、国営でやるべきだ。
②郵貯、簡保事業については、公社としてもよいが、縮小化。
③小泉自民党は、大枠では、賛成だが、実際に国の債務が増えている実情を
 みると、公約も公然と破るし、開き直っている。退陣が妥当。

まったく同じ気持ちです。

また、辻本清美さん、鈴木宗雄さん、中村喜四郎さん。甲子園の出場を逃した青年達がこれから一生受けるであろう厳しい現実とあなたがの受けた事柄との違いを子供達にわかるように説明をして欲しいとおもいます。
それが出来ないならば、出る資格が無いとかんがえます。

ルース・ベネディクトの『菊と刀』によると、欧米の文化を「罪の文化guilty culture」、日本の文化を「恥の文化shame culture」というように対比させていますが、他律的な「恥の文化」では正義より名誉が優先され、個人の道徳心は、他者により左右されてしまうと指摘しています。高校野球の団体主義も、これに当てはまり、「学校の名誉としての甲子園出場」ということが、問題なのだと考えます。また、県の代表という考え方も又非常に問題でもあります。例えば、東京都の271高のなかで、(2校出場)神奈川県は、211高加盟校があるのに対して、鳥取は27校、高知は33校(高野連Hpより)と、明らかに確率が違います。アメリカの場合。まず、学区内のリーグ戦。そして、ほかの学区との交流戦。
そして、地域大会、州大会、全国大会へとつながります。その上、サッカーのようなカップ戦もあるわけです。。と、こちらは、別途書きます。

と、いうことで、かれらには、一言。

Shame on you!と、言いたいです。

まあ、辻本さんに関しては、党の事情というものがあり、個人の意思でやったとは、考えづらいということもかんがえると、ちょっと、違うかもしれませんが、それでも、執行猶予を明けてからのほうが、良かったと思います。
保護観察中の青年の気持ちがわからないで、なんで、国民の気持ちがわかるのでしょうか?
社民党の断末魔のような気がします。


最後に、田中康夫長野県知事の新党立ち上げについて。
残念だとおもうきもちもありますが、「田中知事も、小泉自民党に反対なの?」と、いうことをはじめて知った人も居られると思いますので、冷静さを取り戻す上で、非常に良いことのように思います。それ以上の意味は、見出せないというのが、理由であり、逆説的でもありますが。。。。

と、いうことで、本日はこの辺で。。。

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8月 18, 2005

9.11衆院選について考察1

g9.11衆院選について考察1

郵政民営化法案の廃案に端を発した、衆議院の解散及び9月11日に行われる
選挙についての考察をしたいと存じます。勝手なことを申しますが、
お許しを、、、、、。

さて、一つ目の話題として、

衆院選:首相、「すべての反対派に対立候補」で公認指示
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20050812k0000m010117000c.html
というものがございます。そもそも、就任時より「郵政の民営化」という事柄を構造改革路線の本丸と定めてきた小泉首相にとって、今回の法案そのものは、党内との協議でぎりぎりのところまで譲歩した玉虫色の内容であったことは、否めないと思います。首相側にしては、とんでもないことなわけです。
ですが、反対派にとっては、「公社化→継続審議→小泉首相が任期切れの後廃案」というストーリが出来ていたにもかかわらず、それに気がついた首相官邸が、早くから動いたことが、まずは、予想外の展開になった根幹ではないかと思います。
この法案に対する是非は、もう廃案になったのでよいとして、現在執行部が執り行っている公認(非公認?)の流れや、都道県連に対する個別推薦の禁止などは、間接民主主義的に考えると、ごく当たり前の話であるのですが、それを理解できない人が多いらしく、ねじれ現象が出ているという報道があります。それって「談合」の構図と変わらない気がします。(笑)

だんごう ―がふ 【談合】<(名)スル〔古くは「だんこう」〕
(1)話し合うこと。話し合い。相談。
「集まって―する」
(2)競争入札の際に、複数の入札参加者が前もって相談し、入札価格や落札者などを協定しておくこと。

競争しているように「みせかけて」実際には、旧態依然とした体制を維持する。党の公約や、党の総裁が掲げた事柄について、真っ向から批判せず、最後に、うやむやにする。すべてが、自民党体質。談合体質。さて、ちょっと前まで、小泉旋風で、統一地方選とかも勝ち抜いている人たちでさえ、そんな対応。。。。。
非常に悲しいです。


民主党:郵政改革を重点項目には入れず 政権戦略委員会
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/seitou/news/20050812k0000m010116000c.html
次の話題ですが、民主党。
だめっすね。こんなんじゃ。
わかりにくいったらありゃしない。
ハッキリいってやればいいんです。
問題の本質は違っても、対立軸は、作らなければいけないと思うのですが。。。

と、いうことで、「今回の選挙で、誰に入れてよいか解らない」という希少な方のために、図解してみました。
ご参考になれば幸いです。

burogu0518

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8月 09, 2005

拝啓 小泉首相様

今回の解散は、ご英断であったと思います。
また、自分の信念を曲げずに、今回の行動をとられたことに敬意を表します。
今回の解散により、根源的に、癒着の温床となっていた自民党政権が崩壊し、民主党を中心とした新政権が出来ることを期待し、公明党も連立から離脱することを説に祈る次第です。
私は、常々申しているのですが、私は、よい時代に生まれました。この激動の時代に若いと言うこと。そして、小さいながらも一国一城の主として、経済に携わっていること。これらすべてに対して、大変うれしく思っています。
今を生き抜くために、勇気と行動力を忘れずに、日々精進したいと存じます。


鈴木信夫 拝


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7月 10, 2005

民族解放運動とテロリズムについて(再)


以前、「民族解放運動とテロリズム」と、題しまして、書きましたブログを再度アップしたいと思います。基本的な考え方は、変わっていませんが、こういった事柄が、もう二度と、起こらないために、僕らが何ができるのか、、、。
今週末も非常に考えさせられました。

長文のため、お時間のあるときにどうぞ。

ベスランにおけるロシア学校人質事件におもうこと。
現在の報道であると、約400人を救出200人が死亡したと伝えられているこの事件において、多くのことを思ったので、文章にしたいとおもいます。

1.この結果はわかっていた?
チェチェン問題及び、それに纏わる事件では、ロシア当局の対応は、異常であると言わざるを得ないとおもいます。。

この前、に起きましたチェチェン共和国独立派武装グループが、八百人以上の人質をとってモスクワの劇場を占拠していた事件は、ロシア政府の特殊部隊が劇場に突入し制圧し、人質の七百五十人以上が救出されましたが、九十人以上が亡くなりました。そのときは、特殊なガスが散布され、人質の中には、後遺症に悩む人も居ると言われています。つまり、ロシア当局は、チェチェンの問題に纏わる事件では、時間を掛けないで突入し、人質の死さえ厭わないと言う姿勢を打ち出しているとおもわれます。これは、最近の「対テロリズム」に対する方策に、非常に共通する事柄です。アメリカが現在イラクに駐留し、現在でも死傷者を出しているにもかかわらず戦い続けていることもそうであるし、傾向として、武力で制圧することは是とする傾向が強いと思います。

2.何故そのような発想になるのか?
ゲゼルシャフト(Gemeinschaft)とゲマインシャフト(Gemeinschaft)ということばがございますが、前者が、独自の慣習・法律などをもつ組織体としての)社会,共同体英語で言うと、ソサイティー(Society)であり、後者は、a (利害・宗教・国籍・文化などを共有する)共同社会,共同体,コミュニティー; 地域社会英語で言うと、コミュニティー(community)と訳されます。ちょっと解りにくいので、簡単に言うと、組織の利益が優先されていく社会と、個人が尊重されていく社会の違いであると考えます。つまり、前者には、個人の場合社会を維持する為に、命が落とされていくことが是とされますし、後者は、自分で選んで、出て行けばいいということになります。日下公人氏の著書「そして、日本が勝つ」のなかで、「英語を使うと、発想が単純になる」というはなしがありますが、この場合も然りで、ソサイィーとコミュニティーとでは、この議論の本質を話すことが出来ないとおもいます。
話を戻します。つまり、存続している国家と言うものが、そもそも前者であって、後者ではない。国家に所属している以上ヨーロッパ的な発想では、殺されることは、致し方が無いことといえます。どっかの国の政治家が、「人の命は、地球より重い」などとほざいて、犯罪者を海外に逃亡させてしまった以後、世界で、ハイジャックと言うものが流行ってしまいました。それは、事実であります。報道の中には、今だに、それを期待し、「平和的解決」などと言っている輩が居るわけですが、世界の常識ではないわけです。そのくせ、自分が捕まれば、国に金をせびって、助けてもらう。御楽なことです。事実は、事実として、克明に正しく解るように伝えるのが、仕事ではないかと思うのです。

4.チェチェンについて
しかし、それでもなお、何もしないよりは、マシだと思い、暴力行為に出る青年達が居ることを考える必要がありま。彼らは、初めからこの結果を予想しているであろうし、それに巻き添えを食う人々が居ることも理解していたと思います。そして、何よりも自分達が、生きて帰ることが出来ないことも予想していたはずです。それでもなお、こんな事件を引き起こすのは何故だったのでしょうか?

それは、チェチェンと言う地域について考える必要があるとおもいます。
チェチェン総合情報(http://chechennews.org/)によると、
それは、帝政ロシアの時代のこの地域への侵略から端を発しているといいます。そのなかで、著者は、

①イランとトルコが近く、軍事上の緩衝地帯である。
②ロシアの政治状況が、チェチェン戦争を必要としている。
③チェチェン人の独立志向。

が、戦争が繰り返される原因としています。非常に筋が通った理論なので、この説明は、そちらに譲りたいともいます。つまり、これは、民族解放運動であって、単なるテロリズムではないのではないでしょうか?。

5.これは、単なるテロリズムではない。
そもそもテロリズムとはなにか。大辞林 第二版 (三省堂)によると、テロリズム [terrorism]:一定の政治目的を実現するために暗殺・暴行などの手段を行使することを認める主義、およびそれに基づく暴力の行使。テロ。とされています。これは、非常にネガティブな表現になっていますが、実は、戦争そのものが、テロリズムであることがわかります。彼らは、戦争をしているということなのではないでしょうか?。そしてその理由は、自らの民族を開放しようとする力。つまり、民族解放運動:((1)一九世紀後半以降、植民地・従属国などが帝国主義国の支配・干渉を排除し、自由・独立を目指して展開してきた運動。(2)被圧迫民族がその解放を求め、民族の独立と統一を達成しようとする運動。)であることがわかります。つまり、彼らは、自らの自由と平和を勝ち取ることを目的としているのではないでしょうか?。しかし、そんな報道は、有ったでしょうか??????。これは、まったく、中東地域でもいえるとおもいます。数千年前の書物を元に、一部の人たちが推し進めた国家建設に多くの列強が加担し、ある国家を樹立しました。しかし、そこに元々住んでいた人々の権利を侵害し、そこに住む権利を主張すると圧力が掛けられる。そして、暴力を振るえば、テロと呼ばれる。そうでしょうか??これは、誰が見ても、独立戦争だとおもうのです。でも、そう報道する人は居ない。何故でしょうか?。

6.現在でも起きている独立運動。
代表的なものだけでも、次のようなものがあります。

・チベット独立運動(中国)
・東ティモール独立運動(インドネシア)
・パレスチナ解放運動
・クルド人独立運動(イラン、イラク、トルコなど)
・チェチェン共和国独立運動(ロシア連邦共和国)
・北アイルランド独立運動(英国・アイルランド)
・バスク分離独立運動(スペイン・フランス)

それぞれが、テロとの関係を指摘され、批判をされている報道が目立ちます。実際は、文化や言語、名前まで変えられて、現在を生きることを余儀なくされている人々が居るわけです。これは、今現在のはなしです。日本の圧政に苦しんだ大陸の人々と同じことが、現在でもされているのである。

7.少し語りすぎたかもしれない。

ここまで書いて、どう生きるのか?。と言う問題にぶち当たります。
勿論、成人として、選挙にも行きます。そして、つまらない報道であっても、TVを見るし新聞も見ます。
私は、自分の小ささに気づきます。いったいこの私に、何が出来るのでしょうか?。きっと、大きなことは何も出来ないのだとおもいます。粛々と毎日を過ごすことになるであろうと思う。しかし、一方的な報道や、理不尽な事柄については、テロと言う手段でなくても、やはり、自分の足で立ち上がらなければならないと思うのです。

私は、今回の問題が、これで終わることは無いと考えています。何故なら、彼らは自由を求めて戦っているのであるからです。これは、全てにおいて同じであると思います。例えば、お客様からのクレームは、その問題だけを伝えてきていることは少ないと思っています。つまり、一つの情報から、得るフィードバックは次の問題を発生させない為の糧としなければいけないとおもっているのです。対処療法では、また同じような問題を何度でも引き起こす可能性があると思うのです。「モノは、嘘をつかない」とは、よく言ったもので、出来が悪いのには、何かの原因が存在し、それが何なのかを見極めなければ、本質は見えてこないと思うのです。逆に、人は嘘を付くので、誤魔化そうとする。そんなことでは、何の解決も出来ないと思うのです。

問題の本質は何なのか?。今回の話は、圧政に苦しんでいる人々が居るわけで、それを批判するか改善する為の方策を議論するべきであるとおもうのです。主義や主張もあるし、それぞれの立場も有るとおもいます。だから、本当の気持ちが伝えきれないことの方が多いかもしれない。


でも、、、、、、。目指すところを見出せるなら。必ず道は開けるし、解決できるのではないか。少なくとも、現在の報道で、そういった議論が無いことを悲しく思います。民族や宗教、地域や肌の色など、世界には、いろんな違いがあります。国内であっても、いろいろな問題があることは理解しています。ですが、今出来ることとして、私は、少なくとも、自らのエゴの為に、人を傷つけることはしたくないと思います。勿論、商売をやっているのだから、利益を得ることは必要なことだとおもいます。しかし、それによって、お客様にも利益をもたらさないものであるなら、やることに値しないのではないか。とおもうのです。それは、社内でもいえます。リーダーシップと、独善とは違います。みんなの思いや、願い。そして、祈りに近いものを形にしていく手段として、判断をしていく必要があると思うのです。逆に、利益を得るために、魂を売っている人も最近目に付く機会も多いです。私どもだけでは解決できないことも多く、困惑することもあるのですが、実際にご相談を受けて、困ってしまうことも多いです。以前は、もっと切実な問題として、存在していたわけですが、現在では、巧妙化と道義上の問題があり、社会的な制裁が必要な場合は、ご協力もすることもあります。なんか、難しい表現しか出来なくてすみません。要は、悪い人たちがたくさん居て、びっくりしている次第です。

私は、ものづくりに携わる一人の職人として、そして、経営者として、そうは有りたくないと思います。逆に、何かおかしなことを僕が言うようになったなら、ご指摘いただきたいと思います。それは、社内でも言っていることでもあります。その御指摘が、耳に入らなくなってしまったら、私自身が駄目になってしまったときだとおもいます。師匠である会長。兄である副社長。そして、お客様や社内のみんなの声が私に届かなくなったなら、僕は、駄目になってしまうと思います。今回の事件は、非常に痛ましいものでした。ですが、この違和感や憤りを何かの形で、伝えたいと思った次第です。僕は、差別やテロリズムに対しては、屈するつもりはありません。そして同じように、「寄らば大樹」的な発想で、何も声を出さない衆愚的な人間にもなりたくは無いです。願わくば、そういう生き方が出来ればと思います。

最後になりましたが、今回の事件で、多くの人たちの冥福を祈りたいと思います。

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4月 22, 2005

”さくら”の気持ちは、知らないけれど、、、、。

”さくら”の気持ちは、知らないけれど、、、、。

DSC00217

ご無沙汰しています。
以前に、友人と酒を飲んでいた際。「キャバクラ」と呼ばれる
女性のいる店に行きたいという話になりました。そこで、僕のバスケットの友人がやっている店に行くことにしました。そのお店は「ロシアン・パブ」ということで、女性がロシア人ばかりということで、「どうせ行くなら、友人のやっている店のほうがいいだろう」ということに
なった次第です。
お店に行きますと、白人女性ばかり居られまして、早速女性たちと話すことになりました。すると、彼女たちは、「ウクライナ」から、みんなこられているそうで、「ウクライナ」で、一番有名なものは、「チェルノブイリ原発」だそうです。お金を払って、核問題を語るのも寂しいものです。

そんな中、彼女たちが、好んで歌う歌がありました。それは、
さくら「森山直太郎作詞、作曲」
http://www.hi-ho.ne.jp/momose/mu_title/i_sakura.htm
でした。

正直びっくりしたのですが、その歌詞の意味もある程度理解して、家族や友人たちを思い出すそうです。そして、口をそろえていうことが、やはり、日本の「さくら」というものの美しさでした。大変意外に思いました。
しかし、地球の裏側から来た彼女たちにとっても、さくらは、非常に感動的だということに、びっくりしました。言語や文化を超えて、花は人に感動を与えるのであると。。。

さくらといえば、「ソメイヨシノ」なわけですが、どうやら、歴史的には、そればかりではないようで

日本百科事典

http://encyclopaedicnet.com/japan/a_/a_a_a___ae_c__2.html

こういった感じになっています。

さくらそのものは、古くから日本人の心を捉えているらしく、調べていくと、季語で「花=さくら」ということだそうです。なかには、こんな歌人もおりまして、

 願わくば花の下にて春死なむその如月の望月の頃→西行法師(1118~1190)
 解釈:願いが叶うならば、何とか桜の下で春に死にたいものだ。
  しかも草木の萌え出ずる如月(陰暦二月)の満月の頃がいい。
(釈迦がなくなった季節という意味を含んでいるという説もあり)

なんて、歌を残されている人も居られて、彼の有名な歌に

がむとて花にもいたく馴れぬれば散る別れこそ悲しかりけれ
解釈:ずっと花を眺めているせいか、花に情が移ってしまい、
 花たちと散り分かれてゆくのが悲しく思われることだ


というものもあるそうです。
もしかしたら、この気持ちは、日本人の多くの人が、持っている気持ちかもしれません。しかし、僕は、この花を見ると、その花に例えられて、死んでいった青年達のことを思い出してしまいます。

高校時代に、倫理の先生と大喧嘩になったことがあったのを思い出します。「特攻隊で死んでいった青年達はアホだ」と、先生が言ったので、「作戦を考えた人は、アホかもしれないが、死んでいった青年達は、 きっと、”家族を守りたい”とか、小さな幸せを守るために死んでいったのであって、時代背景も考えると、批判をすること自体が間違っているのではないか?」といって、大喧嘩となり、それ以降毎時間口論となって、成績で「1」をめでたく
頂戴したのでした。祖父が、戦時中に「回天)(人間魚雷」の技術者であったことや、そのときの気持ちをよく話してくれていたので、気持ちを抑え切れなかったのかもしれません。

僕は、いろんな議論を聞いてはいますが、日本が、独立を保つために、日清、日露、第一次世界大戦、第二次世界大戦と言う選択をしたことによいとか悪いとか言うことができません。少なくとも、最近のアジア諸国の人々の反日運動を見るにつけ、「脚を踏んでいる人は、踏まれている人の気持ちはわからない。」と、申しますが、本当に、彼らの心を理解することもできません。しかし、謝罪するにせよ、賠償するにせよ、わたしは、個人的にはするつもりがありません。実際に、中国や朝鮮系の友人達にそのような事柄を言われたことはありません。大体、「おめーに謝られても仕方がない。」と、いう返事です。しかし、「俺のじいちゃんや、ばーちゃん達は、心底恨んでいるよ。まあ、大体、おめーのじいちゃんばーちゃん達も、嫌いなんだろうけどな。(笑)」と行ったノリです。先人達の軋轢なんか、僕らが友情を持つことができれば、なんの障害にもならないと思います。それは、例えば、祖父母の年代の犯罪を孫の代が支払うことに対して、何の論理的根拠も見当たらないからです。
別人格であり、別の時代であるからです。親が、責任をとるのなら、解りますが。その上、国家としてもGHQが入って、ガラガラポンしているような側面があるので、現在の日本人と、以前の日本人を同列に並べていることもまた、理解できません。しかしながら、そんな情報も中国の人々は、知らない可能性もあることを考えると、前回のブログのような気持ちになります。

話を戻しましょう。

僕は、アメリカ海軍海兵隊に友人がいたのですが、彼らが、湾岸戦争に行く時に僕に手紙をくれたことを思い出します。「トレーニング中に」「ロシアンなんかには負けない」といって、世界最強だと豪語していた青年達が、「イラク兵が怖い」と言っていましたし、「死にたくない」と僕に訴えていました。ぼくは、家に無事を祈って黄色いリボンを
当時飾っていましたが、そんなことをやっている人は、近所に誰もいませんでした。そして彼らは、「世界平和」ではなく、「自分達の生活を守るために」戦っていったのでした。彼らもまた軍人になることを選んだ人もいましたし、
生活苦で、奨学金を得る唯一の手段であったりしました。いろんな選択肢の中で、戦争に行ったのです。時代や状況はちがいますが、やはり当時の青年達の多くは、決して、国家ということを意識をしていたとは思いますが、最終的には、小さな幸せのためにそれが、どのような行為であるかを理解しても守りたいと思ったものが、あって戦いに行ったのだと思います。願わくば、生きたかったのだと思います。

前出の気持ちとは別に、桜の木の立場にしてみれば、「ただ咲いているだけ」なのだと信じます。
気持ちを聞いたことはないので、わかりませんが、彼らは、その人生を全うしようと、ただそこで、精一杯咲いているだけなのではないかと思います。その力に、人は感動し、そして、本来は、力を得て、春という季節から力を貰う。それでいいのではないかと思います。「君が代・日の丸」などの問題と一緒に、「さくら」の議論もされるわけですが、それ自体がおかしいのではないかと思うのです。

そして、願わくば、その花を皆で愛でたい。

そんな気持ちがあれば、、、、。きっと、分かり合える人もまたいるのではないか。国境や、言語や、肌の色を越えて。そんな風に桜の木の下で思いました。勿論、奇麗事を言っているわけですし、何の問題解決にもならないことも解っています。が、、、。桜の木の下で、今年も酒が飲める幸せを友人達と会える幸せをなによりも、家族と花をめでることができた幸せを僕は、今年も感じました。


桜は散り、今は新しい季節がやってこようとしているのですが、
そんなことを思った次第です。

いつもながらに、取り留めのない文章になってしまいましたが、

最後まで読んでくださってありがとうございました。

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3月 17, 2005

「アメリカ産牛肉の輸入問題」????

「アメリカ産牛肉の輸入問題」????

最近巷で良く聞く話の中で、「アメリカ産牛肉の輸入問題」があります。
ですが、私達の殆どが知らない事実があることを先週「ニューズウイーク」
を読んで見つけました。。それは、アメリカが、現在でも、
「カナダ産牛肉の輸入制限」をしていることです。
その理由は、下記の記事のように「安全ではない」からだそうです。

この報道について、どれ程の人が知っているでしょうか?

アメリカ側が日本側の対応を不服として、「経済制裁」を
ちらつかせている事柄については、報道があるし、「牛丼」
についてのニュースもあります。しかし、そのカナダ産が加工牛肉としては、アメリカになだれ込んでいるという事実や、実際に同じような理由で、アメリカがカナダに対して、輸入制限をして居ることについての報道は殆どない。探すのに苦労するくらいなので、殆どの人の目に付くことは無いとおもいます。

マスコミの皆さん。

ちょっと、考えてみて欲しい。そして、反省して欲しいと思います。現在日本でされていることは、公平、客観といったことではなく、大本営発表をそのまま載せる戦前と換わらないのではないでしょうか?

先週のニューズウイークによると、
「日本は、現在数少ないアメリカの政治的パートナーである。」
「肉の安全性を考えると、カナダ牛肉をアメリカが輸出することは当分無い。」
「今回下院議員が提出した制裁法案のメンバーと、内容は、ほぼ通ると思えない。」
以上の事柄をとおして、「経済制裁法案はパフォーマンスでしかない」と、切り捨てました。

事実を伝えるのが、報道であり、ジャーナリズムではないでしょうか?。片方しか報道しないのは、事実の歪曲であり、偏重であり、それ自体が大きな意味を持ちます。

本当に腹立たしい。日本の大手マスメディアの人々に激しい憤りを覚えます。

そして、、、、、、。先週まで、その事実を知らなかったのは、報道統制見たいなものではないかと、空恐ろしくなります。

「ほりえもん」も良いですが、、、、。

少なくとも、広い視野で、情報収集をしないと、大変危険なことを感じました。

私の個人的な意見は、アメリカ産牛肉の輸入は、早期に開始するべきだと思っています。それも、日本側で、全頭検査もするべきであると思っています。それに纏わるコストは、輸入関税として、引き上げる。それが、最もシンプルなやり方ではないでしょうか?そして、そのデータは、あまり公表しない。何故なら、そこで、BSEが発見されたらアメリカで、パニックになる可能性があるからです。日本の産業も大きくなり、相応の費用をアメリカ側も支払う。そして、消費者は、相対的には、コストアップになる可能性がありますが、国民の安全を優先するべきであると考えます。

では、失礼します。


最大輸出先の閉鎖長期化にいら立ち 米国側
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/america/news/20050303k0000m020026000c.html

BSE問題:カナダ産牛輸入解禁、米連邦地裁が差し止め(毎日)
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/america/news/20050304k0000m020023000c.html

農林水産大臣定例会見
http://nourin.vis.ne.jp/daijin/kaiken03/kaiken031224.htm

カナダ産牛肉輸入再開に反対するアメリカの裏を予想
http://blog.goo.ne.jp/takeshi_kuroki/e/2d296eedc9df438c2cd55ce8a9919ab8

狂牛病とアメリカ
http://tanakanews.com/e0706BSE.htm

カナダで2例目の狂牛病--でも米は加産牛肉の輸入再開へ
http://www.supplenews.com/MT/archives/2005/03/2_8.html

sasayama's weblog
http://www.sasayama.or.jp/wordpress/index.php?p=238

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11月 09, 2004

アメリカ大統領選挙に思うこと

アメリカ大統領選挙に思うこと

東京新聞の2004年11月8日(夕刊)浜矩子さんの文章を読んで、インスパイアされることが
多かったので、ブログにしたいと思います。
その記事の中で、"THE Closing of the American Mind"という元シカゴ大学教授のアラン・ブーム氏の本を紹介しておられました。邦題が「アメリカン・マインドの終焉」という本だそうです。
その記事によりますと、今回の選挙では、日本でのアンケートもそうでありますし、その他海外でのアンケートも圧倒的に「ケリー支持」であったということです。しかし、実際には、ブッシュ氏が当選しました。。。。
此処からは私見ですが、出口調査の上でもケリーが得票数を上回る可能性が大きかったことを考えあわせると、現在の賢者の選挙であるところの「選挙人制度」なる奇異な選挙手法にも疑問が残るともいえるとおもいます。現在の日本の選挙制度も、3倍近い差があるので、とても、とても平等なものとはいえないのですが。

話を戻します。

つまり、今回の選挙結果でわかることは、現在のアメリカという国は、自国の利益と世界の利害が一致していないのではないかと論評し、本の著者は草葉の陰で何を思われるかとといかけて、文章を閉じています。たしかに、そんな国が、世界のリーダーシップを発揮しているのですから、世界が平和になるわけが無いとおもいました。

私の立場をハッキリさせて起きますと、ケリー氏支持でした。名誉勲章を2回もらっている人は、
私の記憶では、ラインバッカー氏と、ランボー氏(前者は、スティーブン・セガールの映画、後者は、シルベスタ・スターンの映画で出てくるアクションヒーロー)しかおりません。つまり、劇画になってもおかしくないような軍歴の持ち主です。が、彼は、帰還後、反戦運動に参加しています。(これが、退役軍人たちの評判が悪かったとも言われています)つまり、彼は、自分が命を掛けて掴んだ名誉もかなぐり捨てて、正しいと思うことに対して、声を上げた。普通の人、そのまま、軍に残り、悠々自適な生活を送るわけですが、それを良しとしなかった。そんな人物が、どれ程居るか解らないとも思いました。それだけでも十分信頼し得る人物だと思った次第です。

さて、さて、この選挙中に果たして、先ほどお話しました「自国の利益と世界の利害が一致していないのではない?」という議論が、成されたかと言うと、はっきり言ってなかったと思います。しかし、それが違うことの恐ろしさに、アメリカに住んでいる人のなかでも一部の人は気が付いているでしょうが、多くの人が気が付いていないと思います。世界中のひとは、もう既に気が付いているのにです。しかし、私達外国人には、選挙権はありません。それは、ある意味、焦燥感さえ感じます。

この選挙が終わったことを受けて、先般、イラクのファルージャ地方への掃討作戦が開始されました。
しかし、西洋メディアは、相変わらず、そこで行われているであろう犯罪行為や残虐行為には、無頓着で居ると考えます。よっぽどテロリストに殺される自国民の報道の方が、視聴率は取れるかもしれないからです。アルジャジーラの批判をするメディアも多いですが、実際には自らも、本当の戦争というものを報道していないのではないかとおもうので。

今回の選挙でも、ケリーを「判断があいまいだ」という批判をした人物も多かったです。しかし、国際関係や他文化のコミュニケーションの中で、恐らく「正しい」とみなが納得できることなどあまりないのではないでしょうか?。多くの国の文化の中では、「あいまい」であることが美徳である国さえあります。刻一刻と変化する情勢の中で、変わらぬ事等有り得るのでしょうか、、。そちらの方が心配になってしまいます。

今回の選挙には、アメリカ人の良心に期待をしていました。しかし、結果は、少なくとも半分以上のアメリカ人の方々にはそれがありませんでした。自らの過ちに対して立ち返る能力も無く自浄能力も欠如しているといっても良いとおもいます。それは、この国にも言えるとおもいます。現在のマンションブームを見るにつけ、バブルの時代の深い反省は無いと思いますし、政治家や行政の不正事件は後を絶ちません。仕舞いには、放送局まで、不正をしている。何の自浄能力も持っていといえるのではないでしょうか?。これは、単に衆愚化した市民だけの問題ではなく、官僚達や知識人までもが衆愚化していることではないでしょうか?私は、そう思われてなりません。

一方、弊社の企業活動を省みると、自浄能力が足りているかどうかには、疑問点が多いともいえます。しかし、私どもは、お客様や、社内、株主の方や、金融機関の皆様からご指導を頂いていると思います。日本と同じ「外圧」によって、変えられている様にも見えますが、じつは、それらは、非常に重要な事柄であると感じます。少なくとも、法の下で問題の有るような行為をしていることもないですし、多くのユーザー様やお客様に支持を頂いています。例えばモラルに反することを行うと、厳しいお叱りを受ける機会がまだあるわけです。(最近もございまして、反省しています)
しかし、声を出していただいているということは、まだ見捨てられているわけではない。それに基づいて、生活をしていけば、自ずと良い方向に向かっていくことが出来ると考えておいります。例えば、お客様から叱られる事柄を放置して生活することは、リスクが伴います。そのリスクを背負って生きていくことは、大変と考えれば、自ずと方向を変える必要が出てくるわけです。現在でも、お客様に叱られることは、まだございます。しかしながら、それらについて、会社として回答を出していくことが、弊社には必要であると考えます。同じように、私個人でも、注意や警告、そして叱っていただける先輩方や先生方、友人達や、社内の皆が居てくれます。誰にも叱っていただけなくなった時は、、、、。
きっと、現在のアメリカのように、「千代田第一工業のマインドの終焉」を迎えることとなってしまうことでしょう。それを取り戻せないなら、結果は解っています。

そういった事柄が起こらないように、日々精進したいと思っています。

少なくとも、自分自身、そして、会社としては、望まれている方向に
動けるようにありたいと考えています。

これからもご指導ください。

それでは、失礼します。

アメリカン・マインドの終焉―文化と教育の危機
菅野 盾樹 (翻訳), アラン・ブルーム, Allan Bloom
価格: ¥4,200 (税込)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4622018616/250-7138015-6752219

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9月 05, 2004

Noblog「民族解放運動とテロリズム」

民族解放運動とテロリズムについて

ベスランにおけるロシア学校人質事件におもうこと。
現在の報道であると、約400人を救出200人が死亡したと伝えられているこの事件において、多くのことを思ったので、文章にしたいとおもいます。

1.この結果はわかっていた?
チェチェン問題及び、それに纏わる事件では、ロシア当局の対応は、異常であると言わざるを得ないとおもいます。。
この前、に起きましたチェチェン共和国独立派武装グループが、八百人以上の人質をとってモスクワの劇場を占拠していた事件は、ロシア政府の特殊部隊が劇場に突入し制圧し、人質の七百五十人以上が救出されましたが、九十人以上が亡くなりました。そのときは、特殊なガスが散布され、人質の中には、後遺症に悩む人も居ると言われています。つまり、ロシア当局は、チェチェンの問題に纏わる事件では、時間を掛けないで突入し、人質の死さえ厭わないと言う姿勢を打ち出しているとおもわれます。これは、最近の「対テロリズム」に対する方策に、非常に共通する事柄です。アメリカが現在イラクに駐留し、現在でも死傷者を出しているにもかかわらず戦い続けていることもそうであるし、傾向として、武力で制圧することは是とする傾向が強いと思います。

2.何故そのような発想になるのか?
ゲゼルシャフト(Gemeinschaft)とゲマインシャフト(Gemeinschaft)ということばがございますが、前者が、独自の慣習・法律などをもつ組織体としての)社会,共同体英語で言うと、ソサイティー(Society)であり、後者は、a (利害・宗教・国籍・文化などを共有する)共同社会,共同体,コミュニティー; 地域社会英語で言うと、コミュニティー(community)と訳されます。ちょっと解りにくいので、簡単に言うと、組織の利益が優先されていく社会と、個人が尊重されていく社会の違いであると考えます。つまり、前者には、個人の場合社会を維持する為に、命が落とされていくことが是とされますし、後者は、自分で選んで、出て行けばいいということになります。日下公人氏の著書「そして、日本が勝つ」のなかで、「英語を使うと、発想が単純になる」というはなしがありますが、この場合も然りで、ソサイィーとコミュニティーとでは、この議論の本質を話すことが出来ないとおもいます。
話を戻します。つまり、存続している国家と言うものが、そもそも前者であって、後者ではない。国家に所属している以上ヨーロッパ的な発想では、殺されることは、致し方が無いことといえます。どっかの国の政治家が、「人の命は、地球より重い」などとほざいて、犯罪者を海外に逃亡させてしまった以後、世界で、ハイジャックと言うものが流行ってしまいました。それは、事実であります。報道の中には、今だに、それを期待し、「平和的解決」などと言っている輩が居るわけですが、世界の常識ではないわけです。そのくせ、自分が捕まれば、国に金をせびって、助けてもらう。御楽なことです。事実は、事実として、克明に正しく解るように伝えるのが、仕事ではないかと思うのです。

4.チェチェンについて
しかし、それでもなお、何もしないよりは、マシだと思い、暴力行為に出る青年達が居ることを考える必要がありま。彼らは、初めからこの結果を予想しているであろうし、それに巻き添えを食う人々が居ることも理解していたと思います。そして、何よりも自分達が、生きて帰ることが出来ないことも予想していたはずです。それでもなお、こんな事件を引き起こすのは何故だったのでしょうか?
それは、チェチェンと言う地域について考える必要があるとおもいます。
チェチェン総合情報(http://chechennews.org/)によると、
それは、帝政ロシアの時代のこの地域への侵略から端を発しているといいます。そのなかで、著者は、

①イランとトルコが近く、軍事上の緩衝地帯である。
②ロシアの政治状況が、チェチェン戦争を必要としている。
③チェチェン人の独立志向。
が、戦争が繰り返される原因としています。非常に筋が通った理論なので、この説明は、そちらに譲りたいともいます。つまり、これは、民族解放運動であって、単なるテロリズムではないのではないでしょうか?。

5.これは、単なるテロリズムではない。
そもそもテロリズムとはなにか。大辞林 第二版 (三省堂)によると、テロリズム [terrorism]:一定の政治目的を実現するために暗殺・暴行などの手段を行使することを認める主義、およびそれに基づく暴力の行使。テロ。とされています。これは、非常にネガティブな表現になっていますが、実は、戦争そのものが、テロリズムであることがわかります。彼らは、戦争をしているということなのではないでしょうか?。そしてその理由は、自らの民族を開放しようとする力。つまり、民族解放運動:((1)一九世紀後半以降、植民地・従属国などが帝国主義国の支配・干渉を排除し、自由・独立を目指して展開してきた運動。(2)被圧迫民族がその解放を求め、民族の独立と統一を達成しようとする運動。)であることがわかります。つまり、彼らは、自らの自由と平和を勝ち取ることを目的としているのではないでしょうか?。しかし、そんな報道は、有ったでしょうか??????。これは、まったく、中東地域でもいえるとおもいます。数千年前の書物を元に、一部の人たちが推し進めた国家建設に多くの列強が加担し、ある国家を樹立しました。しかし、そこに元々住んでいた人々の権利を侵害し、そこに住む権利を主張すると圧力が掛けられる。そして、暴力を振るえば、テロと呼ばれる。そうでしょうか??これは、誰が見ても、独立戦争だとおもうのです。でも、そう報道する人は居ない。何故でしょうか?。

6.現在でも起きている独立運動。
代表的なものだけでも、次のようなものがあります。

・チベット独立運動(中国)
・東ティモール独立運動(インドネシア)
・パレスチナ解放運動
・クルド人独立運動(イラン、イラク、トルコなど)
・チェチェン共和国独立運動(ロシア連邦共和国)
・北アイルランド独立運動(英国・アイルランド)
・バスク分離独立運動(スペイン・フランス)

それぞれが、テロとの関係を指摘され、批判をされている報道が目立ちます。実際は、文化や言語、名前まで変えられて、現在を生きることを余儀なくされている人々が居るわけです。これは、今現在のはなしです。日本の圧政に苦しんだ大陸の人々と同じことが、現在でもされているのである。

7.少し語りすぎたかもしれない。

ここまで書いて、どう生きるのか?。と言う問題にぶち当たります。
勿論、成人として、選挙にも行きます。そして、つまらない報道であっても、TVを見るし新聞も見ます。
私は、自分の小ささに気づきます。いったいこの私に、何が出来るのでしょうか?。きっと、大きなことは何も出来ないのだとおもいます。粛々と毎日を過ごすことになるであろうと思う。しかし、一方的な報道や、理不尽な事柄については、テロと言う手段でなくても、やはり、自分の足で立ち上がらなければならないと思うのです。

私は、今回の問題が、これで終わることは無いと考えています。何故なら、彼らは自由を求めて戦っているのであるからです。これは、全てにおいて同じであると思います。例えば、お客様からのクレームは、その問題だけを伝えてきていることは少ないと思っています。つまり、一つの情報から、得るフィードバックは次の問題を発生させない為の糧としなければいけないとおもっているのです。対処療法では、また同じような問題を何度でも引き起こす可能性があると思うのです。「モノは、嘘をつかない」とは、よく言ったもので、出来が悪いのには、何かの原因が存在し、それが何なのかを見極めなければ、本質は見えてこないと思うのです。逆に、人は嘘を付くので、誤魔化そうとする。そんなことでは、何の解決も出来ないと思うのです。

問題の本質は何なのか?。今回の話は、圧政に苦しんでいる人々が居るわけで、それを批判するか改善する為の方策を議論するべきであるとおもうのです。主義や主張もあるし、それぞれの立場も有るとおもいます。だから、本当の気持ちが伝えきれないことの方が多いかもしれない。


でも、、、、、、。目指すところを見出せるなら。必ず道は開けるし、解決できるのではないか。少なくとも、現在の報道で、そういった議論が無いことを悲しく思います。民族や宗教、地域や肌の色など、世界には、いろんな違いがあります。国内であっても、いろいろな問題があることは理解しています。ですが、今出来ることとして、私は、少なくとも、自らのエゴの為に、人を傷つけることはしたくないと思います。勿論、商売をやっているのだから、利益を得ることは必要なことだとおもいます。しかし、それによって、お客様にも利益をもたらさないものであるなら、やることに値しないのではないか。とおもうのです。それは、社内でもいえます。リーダーシップと、独善とは違います。みんなの思いや、願い。そして、祈りに近いものを形にしていく手段として、判断をしていく必要があると思うのです。逆に、利益を得るために、魂を売っている人も最近目に付く機会も多いです。私どもだけでは解決できないことも多く、困惑することもあるのですが、実際にご相談を受けて、困ってしまうことも多いです。以前は、もっと切実な問題として、存在していたわけですが、現在では、巧妙化と道義上の問題があり、社会的な制裁が必要な場合は、ご協力もすることもあります。なんか、難しい表現しか出来なくてすみません。要は、悪い人たちがたくさん居て、びっくりしている次第です。

私は、ものづくりに携わる一人の職人として、そして、経営者として、そうは有りたくないと思います。逆に、何かおかしなことを僕が言うようになったなら、ご指摘いただきたいと思います。それは、社内でも言っていることでもあります。その御指摘が、耳に入らなくなってしまったら、私自身が駄目になってしまったときだとおもいます。師匠である会長。兄である副社長。そして、お客様や社内のみんなの声が私に届かなくなったなら、僕は、駄目になってしまうと思います。今回の事件は、非常に痛ましいものでした。ですが、この違和感や憤りを何かの形で、伝えたいと思った次第です。僕は、差別やテロリズムに対しては、屈するつもりはありません。そして同じように、「寄らば大樹」的な発想で、何も声を出さない衆愚的な人間にもなりたくは無いです。願わくば、そういう生き方が出来ればと思います。

最後になりましたが、今回の事件で、多くの人たちの冥福を祈りたいと思います。

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