読書評:「世に棲む日々」×「花神」
先日、大変お世話になっている友人に、ひとつの小説について意見を求められました。
それが、「花神」(司馬遼太郎著:http://www.amazon.co.jp/%E8%8A%B1%E7%A5%9E%E3%80%88%E4%B8%8A%E3%80%89-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%8F%B8%E9%A6%AC-%E9%81%BC%E5%A4%AA%E9%83%8E/dp/4101152179)
でした。村田蔵六(後の大村益次郎)氏について書かれている小説で、大河ドラマとして人気を博したそうですが、はじめてその存在を知りました。早速、読んでみますと、「技術者とは何なのか?」、「シビリアンコントロールとは何なのか?」と、言うことを非常に考えさせられました。
対して、「世に棲む日々」(司馬遼太郎著:http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%96%E3%81%AB%E6%A3%B2%E3%82%80%E6%97%A5%E6%97%A5%E3%80%881%E3%80%89-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%8F%B8%E9%A6%AC-%E9%81%BC%E5%A4%AA%E9%83%8E/dp/4167663066)
というのは、同じ時代を生きた高杉晋作氏を中心に描いた作品です。前半は「吉田松陰」先生と「松下村塾」の話で、後半が高杉氏の話なわけですが、そこには「狂」という言葉がたくさん出てきます。時代を変えるのは、理論ではなく「狂」であると。
しかし、前者の「花神」では、まったくそういった事はございません。その兄弟小説と申しましょうか、一対の小説とのことですが、その内容の差に大変な驚きを覚えました。どちらかというと、村田蔵六氏にとても共感を覚えるのですが、それは、自分が技術者の端くれということだけではなく、理解が可能であるからだと思います。しかし、この小説の中で、革命期にコンセプトを出す人や、実行する人は、その命を途中でおとすが、それを守る人は、長生きするという話が何回も出てきます。それぞれが、吉田松陰先生であり、高杉晋作氏であり、伊藤弘文氏であると。では、村田蔵六氏は、どこに属するかというと、、、、。やはり実行する人であると論じています。(京都で凶刃に倒れた)そのように思うと、色々な行き方がある中で、それらを選択したのであることがわかります。
(ここからは、ちょっと暴論なので、ご興味がある方だけでお願いします。TBやコメントは受け付けません)
さて、幕末の志士達の気高さとちがって、最近の元自衛官の方々発言(放言)に対しては、非常に残念と思っております。まずは、髭がトレードマークの保守系国会議員の方は、中東に派遣されていた際に、近所のオランダ軍が攻めらら他場合には、自ら、戦いの中に行くつもりであったことを公言していましたし、大変高い階級の人で、在職中に出した論文と、そのあとの対応についても残念な気持ちがございました。彼らは自衛隊法61条が、「自衛官は政治的目的のために政治的行為をしてはならない」と、政治に関与することを厳禁していることを知らない筈はないと考えています。また、制服組トップにまで上り詰めた方が知らないはずはないとおもいます。100歩譲って、現在は、一般人ですから、何を言っても構わないのですが、在職中に政府の歴史認識(解釈??)を批判したことは、とても許されない行為だと僕は思っています。当たり前ですが、「シビリアン・コントロール」に反するからです。自衛官は政治的行動がしたかったら、自衛隊を辞めてから行わなくてはならない。しかし、それを彼はした。そんな事が許されるのは、世界中で軍事政権だけではないかと思います。僕の拙い知識ですが、民主主義国家の軍隊でそんな事を言ったら、大変な問題になると思います。文章を読んで推察するに、大変学識もあり、教養もお持ちの方だと思います。その論に対して、批判をすることは僕の知識の中では出来ません。が、在職中に行うことは絶対にいけない行為だと思います。
そして、それは、政治のほうにも(それらを選んだ国民のほうにも)問題があると思います。僕は、兼ねてから言っているのですが、背広組が制服組に出来ることは、制服組に万が一のことが起きた場合に、その家族や友人たちに彼の行為がどれほど立派なことであったかを伝えることができる体制を作っていくことだと思っています。(それが、結果的に間違っていたとしても)命令を出す政治家が少なくとも国旗と、勲章を家族に渡すことができる
体制を作る。一説では、既に3桁の人が、怪我や障害。中には、命を失ったケースが、この10年であるそうです。それは、PTSD(心理的外傷)を負って、帰国後に問題が発生するケースもあると聞いています。私は、大臣や幕僚ではなく、総理大臣から、渡すように出来る体制にしてこそ、彼らを危険な場所に送り込むことができるのではないかと考えております。「だから、政権交代」と、短絡的に直結するとは言いません。
でも、そういった心の痛みを誰かが分かってあげなければいけないのではないでしょうか?「安全な地域に行く」なんて、嘘を言わないでください。ちゃんとした法改正を行ってほしいと思います。と、公安や治安の制服組の方や、何かしらの軍隊に所属又は、所属経験のある方で、批判を受けたことはありません。なぜなら、彼らは、命令を貰ったならば、何時でも行動する気持ちで、その職業を選んでいるからです。そういった彼らの勇気や、気持を大切にしてほしい。本当にそう思います。
話を戻しますと、つまり、さっきご紹介した二人の人は、少なくとも、前に触れた3種類のどの人にも含まれないと。本来「守る」ことを職務にしていた人が、あたかも「行動する」ふりをしていると。「命を掛けて」なんて、言ってもいますが、職も辞さずに法を犯して、、、、、、、。っと、ここらへんにしておきます。
歴史や、人物を見極める場合のカテゴリーを一つ頂いた気がして、とてもうれしくなりました。
先般再開した米軍の友人たちと話しながら、そんな事を考えた次第です。
僕は、この時代に何を行うのか。。少なくとも自分の会社の変革を実行する人となりたいです。
因みに、高杉晋作氏の生きざまは、とても理解ができなく、長崎での遊学で、身の回りの世話をしてもらった女性を売り払う件には、違和感を通り越して憤りを感じました。しかし、その「狂」が、この国を変えたのならば、、、、。
もしかしたら、僕もまた、3種類のカテゴリーには、入り得ない人間なのかもしれません。しかし、それでもいいです。人として、真っ直ぐに生きたいと思います。
それでは、失礼します。
| 固定リンク
コメント